僕が日本でフォトフェスティバルをやらなくっちゃと真剣に考え出したのは、たしか2005年頃だったか、と思う。元日本カメラの編集長である梶原高男さんに相談しにいったり、写真の学校の校長柳谷杞一郎さんに相談を持ちかけたり、PIEの運営をしているトッパンの人に相談しにいった。バックキャスティング手法の物語風の企画書も書いて見てもらったりもしている。
ポートフォリオレビューに関してはおそらく1986年のヒューストンミーティングプレースにレビュアーとして参加した細江さんのお話から、そんなのが日本にあったらいいなあ、と漠然と思っていた。
それがもっとせっぱ詰まった思いに変わったのは2007年か08年にJPSのセミナーで細江さんの口から東京ミーティングプレースという言葉を聞いたからだ。既に北京ミーティングプレースが開かれていたこともあって、僕は細江さんにそのプロジェクトはどのくらい進行しているのですか、と質問した。そうしたら、細江さんからは、そんなプロジェクトは進行していないよ、僕はもうそんなことできる年齢じゃない、永田君達の世代がやってくれたまえ、という答えが帰ってきた。
それから、ヒューストンフォトフェストのウェブを見ているうちにヒューストンフォトフェストはたった3人の創立者から始まったということを知った。すなわち写真家のフレッド・ボールドウィン氏とその奥様のウェンディ・ワトリス、ヨーロッパのギャラリー・ディレクターのペトラ・ベントラーだ。
そうか、今でこそすごい規模のフォトフェスティバルだけれども最初は個人の情熱からはじまっているのか、とものすごく納得がいった。
それで、これはもう僕一人でも始めるしかない、と思ったのだ。ちょうどその頃、フォトグラファーズ・サミットを主催している山田敦士さんとの出会いや彼を応援している横木安良夫さんや五味彬さんとの出会いもあった。
おそらく長く続く不況の中で写真家も自ら立ち上がるしかない、という時代にさしかかったのだろう。
細江さんを訪ねて相談をかさねるうちに、横浜で10年間写真の啓蒙活動につとめているザ・ダークルーム・インターナショナルの齋藤久夫さんを紹介されて、彼も横浜でフォトフェスティバル開催をめざしていることを知って、そこから徐々に話しが進行していった。
今回のキックオフイベントが成功したのは、工作舎時代の同僚である後藤繁雄さんがこの話に興味をもってくれて、強力に全てを推し進めてくれたおかげである。
彼は僕が写真業界で最も信頼を寄せる人であり、その考え方に最も共感できる人だ。写真家ではないが、写真評論家でもない、後藤繁雄さんは、写真家とともに写真をつくる人であり写真の現場にいる人だ。写真の外から写真のことについてあれこれいうのはやさしいことだ。しかし彼のように自ら写真の現場に飛び込んできてともに戦ってくれる人は貴重な存在だ。
篠山紀信もその本の中で言っている。写真は戦場なのだ、と。はたからあれこれ言うのは簡単だが、写真のことはこの戦場でともに戦う事をよしとする人しかほんとうにはわからない、と。
フォトグラフィック・カンバセーションズオープニングの後藤繁雄さんのレクチャー。
今は京都造形芸術大学の教授なんていうえらそうな肩書きも背負っているが、工作舎時代はDEVOの曲を歌ったり、いろいろお茶目なことを一緒にしていた泥臭い仲間である。
G/Pギャラリーの深井佐和子さんと後藤桜子さん。このイベントが決まったときからおそらく徹夜の日々がおおかったことだろう。お疲れ様。
野毛フォトビレッジ・ワークショップの講師の一人、ハービー・山口さんのワークショップ風景。野毛ワークショップはほとんどが野毛Hana*Hanaで開かれたため、僕はインターネットテレビを通じて少しかいま見ただけだった。フォトサミのおりに横木安良夫さんに、どうでした、と聞いたら、面白かったよという返事が返ってきたのでほっとした。
フォトグラフィック・カンバセーションズでの町口覚さんのレクチャー。
所幸則さんと太田菜穂子さんのライブトークショー。盛り上がったと言うことだが、僕は最初の紹介だけしかできなかった。残念。
細江英公・竹内万里子フォトフェスティバルの魅力を語ると題したトークショー。やはり、お二人とも経験豊富なだけに話を聞くだけでその場にいるような気持ちになれる。
竹内さんは、フォトフェスティバルのメリットなどを簡潔にまとめて解説された。フォトフェスティバルのミーハーともいえるくらいに深い思いをもたれている彼女の解説はとても貴重なお話なのである。
トークショーの準備作業・キーノートの作成はキックオフイベント開催中にやるしか時間がとれなかった。竹内さんとは前日の深夜まで電話とメールでのやりとりが続いた。聞いてくださった方から後ほど、よかったという感想をいただいたときは本当にうれしかった。
細江さんは、09年11月に招待されたルッカデジタルフォトフェストのことを熱心に語られた。ルッカのことは後ほどご報告します。
スライドショーブースにはヴィクターの最新の写真用ハイビジョンモニターが設置された。これまでのハイビジョンとは比べものにならないほどの写真再現力がある。ヴィクターさんが協力してくれることになったことで、スライドショーデータをかなり作り直さなければならなかったほどディテイルの再現力がある。
ヨコハマフォトフェスティバルのロゴとポスターはアートディレクターの馬淵晃さんのボランティア活動によって完成した。企業から依頼されたら、何千万単位のギャラになってしまう作業をにこにこしながらやっていただいた馬淵さんにはなんとお礼していいかわからない。
沖本尚志さんとAOKI takamasaさんのライブトークショー。AOKIさんとお会いするのは初めてだったが、彼の考え方には非常に共感するところが多かった。
松本美枝子さんと沖本尚志さん。松本さんは準備のために何度も水戸から足を運ばれた。
大和田良さんとPGIの高橋朗さんのライブトークショー。若い二人が話されたテーマはセルフステートメント。これから日本の写真家が世界に打って出るときに非常に重要になる深いテーマだ。
なんと、最後に細江さんが登場して閉会の挨拶。17日は細江さんのプログラムはなかったのだが、ぜひ実行委員長として17日もなにかしたい、という熱い熱いお申し出があってお願いすることになった。写真家をここまで熱くさせるフォトフェスティバルの魅力とは何なのか、これからぜひ日本の写真家にも共有してもらいたい情熱である。
夜の赤レンガ倉庫。赤レンガ倉庫2階のベランダから見る生まれ変わった横浜の夜景がものすごく美しく感じた。
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