ポートフォリオレビューに関してはおそらく1986年のヒューストンミーティングプレースにレビュアーとして参加した細江さんのお話から、そんなのが日本にあったらいいなあ、と漠然と思っていた。
それがもっとせっぱ詰まった思いに変わったのは2007年か08年にJPSのセミナーで細江さんの口から東京ミーティングプレースという言葉を聞いたからだ。既に北京ミーティングプレースが開かれていたこともあって、僕は細江さんにそのプロジェクトはどのくらい進行しているのですか、と質問した。そうしたら、細江さんからは、そんなプロジェクトは進行していないよ、僕はもうそんなことできる年齢じゃない、永田君達の世代がやってくれたまえ、という答えが帰ってきた。
それから、ヒューストンフォトフェストのウェブを見ているうちにヒューストンフォトフェストはたった3人の創立者から始まったということを知った。すなわち写真家のフレッド・ボールドウィン氏とその奥様のウェンディ・ワトリス、ヨーロッパのギャラリー・ディレクターのペトラ・ベントラーだ。
そうか、今でこそすごい規模のフォトフェスティバルだけれども最初は個人の情熱からはじまっているのか、とものすごく納得がいった。
それで、これはもう僕一人でも始めるしかない、と思ったのだ。ちょうどその頃、フォトグラファーズ・サミットを主催している山田敦士さんとの出会いや彼を応援している横木安良夫さんや五味彬さんとの出会いもあった。
おそらく長く続く不況の中で写真家も自ら立ち上がるしかない、という時代にさしかかったのだろう。
細江さんを訪ねて相談をかさねるうちに、横浜で10年間写真の啓蒙活動につとめているザ・ダークルーム・インターナショナルの齋藤久夫さんを紹介されて、彼も横浜でフォトフェスティバル開催をめざしていることを知って、そこから徐々に話しが進行していった。
今回のキックオフイベントが成功したのは、工作舎時代の同僚である後藤繁雄さんがこの話に興味をもってくれて、強力に全てを推し進めてくれたおかげである。
彼は僕が写真業界で最も信頼を寄せる人であり、その考え方に最も共感できる人だ。写真家ではないが、写真評論家でもない、後藤繁雄さんは、写真家とともに写真をつくる人であり写真の現場にいる人だ。写真の外から写真のことについてあれこれいうのはやさしいことだ。しかし彼のように自ら写真の現場に飛び込んできてともに戦ってくれる人は貴重な存在だ。
篠山紀信もその本の中で言っている。写真は戦場なのだ、と。はたからあれこれ言うのは簡単だが、写真のことはこの戦場でともに戦う事をよしとする人しかほんとうにはわからない、と。


















0 件のコメント:
コメントを投稿