ヨコハマフォトフェスティバルオープンポートフォリオレビューでのベストポートフォリオ賞授賞式を目黒にあるギャラリーコスモスで行った。
ベストポートフォリオ賞に選ばれた原久路さんは、テレビ関係のカメラマンを職業としている方だが、ご自分の写真作品を作りたい、という思いに突き動かされて作品をつくられているそうだ。
彼の作品は画家バルテュスへのオマージュシリーズ。バルテュスを好きな人が見たら、すぐハハーンと納得のいく作品である。一度見たらなかなか忘れられないバルテュスの絵画に登場する人物達の独特のポーズをそのまま日本の制服の男女のシーンに置き換えてしまった独特の作風の写真だ。
彼のように職業写真家ではないが、ポートフォリオを作って写真界に挑戦しようという人は海外には大勢いて、そういう人がポートフォリオレビューにも参加している。まさに日本にも同じような現象が現れているのだ、と感じた。
ちょうどギャラリーコスモスではプリンターの加藤法久さんひきいるSABADO の写真展を開催中で、原さんのポートフォリオを店主新山さんと一緒に見ていただいた。
原さんに贈呈されたのは、パリ、プラット社製のプレスティジプロボックス。ちょうど原さんがお使いになられていたのと同じ製品があり、もう一冊欲しいと思っていたところ、ということでうれしいプレゼントとなった。
コスモスインターナショナルではカンテルモ社製の豪華馬革ポートフォリオを始め各種高級ポートフォリオブックを今年からレンタルで貸し出すシステムも始める。購入すれば4万〜8万円もする高級ポートフォリオを短期間でもプレゼンテーションに使えることになれば若い人たちにはうれしいニュースとなるだろう。詳しくは2月20日発売のコマーシャルフォト誌をご覧ください。
2010年1月30日土曜日
2010年1月29日金曜日
ポートフォリオレビューの仲間達
ヨコハマフォトフェスティバルのプログラムの中でも一番時間と手数がかかったのがスライドショーだった。 僕は割合自分の作品をスライドショーにしてプレゼンテーションするのはよくやっていたので、スライドショーで見せるというイメージがはっきりとしていたし、アルルでの巨大スクリーンによるスライドショーも昨年見ていたから、スライドショーといったときのイメージはクリアだった。
ところが、海外の写真家も日本の写真家もスライドショーを作ったことがない人もいて、案外基本概念が伝わらなくて苦労してしまった。 海外の写真家にお願いのメールをだしたのが、昨年の9月のことだったが、それから各写真家とのやりとりで自分で作る、という人とやり方がわからないから、データを送るので永田が作ってくれ、という人まちまちでの出発だった。
そこから、スライドショーのデータを受け取ったり、アーティストボード用のステートメントや略歴をもらったりという過程で時差もあるし、それぞれのペースがあるのでなかなか一筋縄で行くような作業ではなかった。 特に作品のステートメントの翻訳はものすごくむずかしかった。奥様のセリーンの弟がファイナンス関係の翻訳をやっているので、彼に頼んだのだが、言っていることに矛盾がすごく多くて翻訳できない、とのっけから返されてしまった。確かに写真の知識がないと難しい表現も多いし、論理的には矛盾している内容もある。そもそも写真を語る、ということ自体が論理的な整合性のない世界なのかもしれない。
そして各作家から送られてきたデータをひとつにまとめる作業もえらく時間のかかる作業だと言うことがわかってきた。全体のムービーの画質をあげようとするとレンダリングにえらく時間がかかってしまう。 それでも、iPhotoでスライドショーを作ってから、クイックタイムでかき出すときにH246ではなくてphotojpegで書き出すと画質がきれいになる、というティップスも獲得したのはいい勉強になった。
スライドショーを全部まとめてループで流すという作業の所は映像のプログラミングをされている東和信さんに、日本の写真家のスライドショーの制作とループムービーの制作では水谷充さんに全面的に依存することになってしまった。
僕がテクニカルな面のバックグラウンドをきちんと確立しないままにスタートしてしまった企画なので、ほんとうにボランティアでお手伝いいただいた両氏にはご迷惑をおかけしてしまった。水谷さんはこの件で新しいソフトを購入するために多額の負担までかけてしまった。 「どうせ必要なソフトだったから、ちょうどよかったよ。いろいろとテクニカルな面でも勉強になったし。」といってくださる水谷さんの笑顔がなかったら本当に今頃どうなっていたかわからないほど大変な作業だったのだ。
参加してくれた写真家の努力を考えると、プロジェクターもきちんとしたものでやりたい、と思ったので、キャノン、パナソニックにも協力を仰いだのだがうまくいかず、最後にわらをもすがる思いでイベント用のプロジェクターのリースをしている映像センターさんにお願いしたら、ご協力値段で貸してもらえるということになった。
それでも5000ルーメンクラスのプロジェクター2台を1週間レンタルするのに、十数万円かかった。アルルのスライドショーはおそらく1千万円単位クラスの費用がかかっているのだろう。
道は遠い。しかし、赤レンガ倉庫の中庭や海岸近くでアルル級の巨大スクリーンにいろいろな写真家のスライドショーが映し出され、生のバンドが演奏する、というシーンを想像すると、やっぱり日本でもやりたいものだ、と考えてしまうのだ。
ただ、写真の展示と併用だとなかなかみてくれないので、スライドショープログラムだけで見てもらう必要がある、と感じた。 スライドショーコンテスト、スライドショーフェスティバルといった形での見せ方も工夫しなければならないのだろう。
翻訳に苦労した海外のアーティストボード。
ヴィクターの新しい写真用高画質ハイビジョンモニター。
苦労して作ったアーティストボードなので熱心に見てくれるお客様がいるとうれしくなる。
赤レンガ倉庫1号館の会場は柱があるので、椅子の配置には特に気を使った。画質にはできる限り気をつかったのだが、参加作家から画質が悪いと指摘されてがっくり。プロジェクター再生で画質をよくするのは大変な労力、金力がいるのです。
Oyvind Hjelmen
Ari Salomon
Sonja Thomsen
Billi Mandle
Jimmy Lam
Jonathan Blaustein
Graham Miller
Yoichi Nagata
Ferit Kuyas
Elizabeth Fleming
Georg Kuettinger
Kaycie Roberts
Celine Wu
Catherine Cameron
Mark Menjivar
Aline Smithson
Angela Bacon-Kidwell
Kurt Tong
Susan Burnstine
Janelle Lynch
Yoshiaki Kita
Hiroyo Kaneko
ところが、海外の写真家も日本の写真家もスライドショーを作ったことがない人もいて、案外基本概念が伝わらなくて苦労してしまった。 海外の写真家にお願いのメールをだしたのが、昨年の9月のことだったが、それから各写真家とのやりとりで自分で作る、という人とやり方がわからないから、データを送るので永田が作ってくれ、という人まちまちでの出発だった。
そこから、スライドショーのデータを受け取ったり、アーティストボード用のステートメントや略歴をもらったりという過程で時差もあるし、それぞれのペースがあるのでなかなか一筋縄で行くような作業ではなかった。 特に作品のステートメントの翻訳はものすごくむずかしかった。奥様のセリーンの弟がファイナンス関係の翻訳をやっているので、彼に頼んだのだが、言っていることに矛盾がすごく多くて翻訳できない、とのっけから返されてしまった。確かに写真の知識がないと難しい表現も多いし、論理的には矛盾している内容もある。そもそも写真を語る、ということ自体が論理的な整合性のない世界なのかもしれない。
そして各作家から送られてきたデータをひとつにまとめる作業もえらく時間のかかる作業だと言うことがわかってきた。全体のムービーの画質をあげようとするとレンダリングにえらく時間がかかってしまう。 それでも、iPhotoでスライドショーを作ってから、クイックタイムでかき出すときにH246ではなくてphotojpegで書き出すと画質がきれいになる、というティップスも獲得したのはいい勉強になった。
スライドショーを全部まとめてループで流すという作業の所は映像のプログラミングをされている東和信さんに、日本の写真家のスライドショーの制作とループムービーの制作では水谷充さんに全面的に依存することになってしまった。
僕がテクニカルな面のバックグラウンドをきちんと確立しないままにスタートしてしまった企画なので、ほんとうにボランティアでお手伝いいただいた両氏にはご迷惑をおかけしてしまった。水谷さんはこの件で新しいソフトを購入するために多額の負担までかけてしまった。 「どうせ必要なソフトだったから、ちょうどよかったよ。いろいろとテクニカルな面でも勉強になったし。」といってくださる水谷さんの笑顔がなかったら本当に今頃どうなっていたかわからないほど大変な作業だったのだ。
参加してくれた写真家の努力を考えると、プロジェクターもきちんとしたものでやりたい、と思ったので、キャノン、パナソニックにも協力を仰いだのだがうまくいかず、最後にわらをもすがる思いでイベント用のプロジェクターのリースをしている映像センターさんにお願いしたら、ご協力値段で貸してもらえるということになった。
それでも5000ルーメンクラスのプロジェクター2台を1週間レンタルするのに、十数万円かかった。アルルのスライドショーはおそらく1千万円単位クラスの費用がかかっているのだろう。
道は遠い。しかし、赤レンガ倉庫の中庭や海岸近くでアルル級の巨大スクリーンにいろいろな写真家のスライドショーが映し出され、生のバンドが演奏する、というシーンを想像すると、やっぱり日本でもやりたいものだ、と考えてしまうのだ。
ただ、写真の展示と併用だとなかなかみてくれないので、スライドショープログラムだけで見てもらう必要がある、と感じた。 スライドショーコンテスト、スライドショーフェスティバルといった形での見せ方も工夫しなければならないのだろう。
翻訳に苦労した海外のアーティストボード。
ヴィクターの新しい写真用高画質ハイビジョンモニター。
苦労して作ったアーティストボードなので熱心に見てくれるお客様がいるとうれしくなる。
赤レンガ倉庫1号館の会場は柱があるので、椅子の配置には特に気を使った。画質にはできる限り気をつかったのだが、参加作家から画質が悪いと指摘されてがっくり。プロジェクター再生で画質をよくするのは大変な労力、金力がいるのです。
Oyvind Hjelmen
Ari Salomon
Sonja Thomsen
Billi Mandle
Jimmy Lam
Jonathan Blaustein
Graham Miller
Yoichi Nagata
Ferit Kuyas
Elizabeth Fleming
Georg Kuettinger
Kaycie Roberts
Celine Wu
Catherine Cameron
Mark Menjivar
Aline Smithson
Angela Bacon-Kidwell
Kurt Tong
Susan Burnstine
Janelle Lynch
Yoshiaki Kita
Hiroyo Kaneko
ヨコハマフォトフェスティバル・イベントスナップ
僕が日本でフォトフェスティバルをやらなくっちゃと真剣に考え出したのは、たしか2005年頃だったか、と思う。元日本カメラの編集長である梶原高男さんに相談しにいったり、写真の学校の校長柳谷杞一郎さんに相談を持ちかけたり、PIEの運営をしているトッパンの人に相談しにいった。バックキャスティング手法の物語風の企画書も書いて見てもらったりもしている。
ポートフォリオレビューに関してはおそらく1986年のヒューストンミーティングプレースにレビュアーとして参加した細江さんのお話から、そんなのが日本にあったらいいなあ、と漠然と思っていた。
それがもっとせっぱ詰まった思いに変わったのは2007年か08年にJPSのセミナーで細江さんの口から東京ミーティングプレースという言葉を聞いたからだ。既に北京ミーティングプレースが開かれていたこともあって、僕は細江さんにそのプロジェクトはどのくらい進行しているのですか、と質問した。そうしたら、細江さんからは、そんなプロジェクトは進行していないよ、僕はもうそんなことできる年齢じゃない、永田君達の世代がやってくれたまえ、という答えが帰ってきた。
それから、ヒューストンフォトフェストのウェブを見ているうちにヒューストンフォトフェストはたった3人の創立者から始まったということを知った。すなわち写真家のフレッド・ボールドウィン氏とその奥様のウェンディ・ワトリス、ヨーロッパのギャラリー・ディレクターのペトラ・ベントラーだ。
そうか、今でこそすごい規模のフォトフェスティバルだけれども最初は個人の情熱からはじまっているのか、とものすごく納得がいった。
それで、これはもう僕一人でも始めるしかない、と思ったのだ。ちょうどその頃、フォトグラファーズ・サミットを主催している山田敦士さんとの出会いや彼を応援している横木安良夫さんや五味彬さんとの出会いもあった。
おそらく長く続く不況の中で写真家も自ら立ち上がるしかない、という時代にさしかかったのだろう。
細江さんを訪ねて相談をかさねるうちに、横浜で10年間写真の啓蒙活動につとめているザ・ダークルーム・インターナショナルの齋藤久夫さんを紹介されて、彼も横浜でフォトフェスティバル開催をめざしていることを知って、そこから徐々に話しが進行していった。
今回のキックオフイベントが成功したのは、工作舎時代の同僚である後藤繁雄さんがこの話に興味をもってくれて、強力に全てを推し進めてくれたおかげである。
彼は僕が写真業界で最も信頼を寄せる人であり、その考え方に最も共感できる人だ。写真家ではないが、写真評論家でもない、後藤繁雄さんは、写真家とともに写真をつくる人であり写真の現場にいる人だ。写真の外から写真のことについてあれこれいうのはやさしいことだ。しかし彼のように自ら写真の現場に飛び込んできてともに戦ってくれる人は貴重な存在だ。
篠山紀信もその本の中で言っている。写真は戦場なのだ、と。はたからあれこれ言うのは簡単だが、写真のことはこの戦場でともに戦う事をよしとする人しかほんとうにはわからない、と。
フォトグラフィック・カンバセーションズオープニングの後藤繁雄さんのレクチャー。
今は京都造形芸術大学の教授なんていうえらそうな肩書きも背負っているが、工作舎時代はDEVOの曲を歌ったり、いろいろお茶目なことを一緒にしていた泥臭い仲間である。
G/Pギャラリーの深井佐和子さんと後藤桜子さん。このイベントが決まったときからおそらく徹夜の日々がおおかったことだろう。お疲れ様。
野毛フォトビレッジ・ワークショップの講師の一人、ハービー・山口さんのワークショップ風景。野毛ワークショップはほとんどが野毛Hana*Hanaで開かれたため、僕はインターネットテレビを通じて少しかいま見ただけだった。フォトサミのおりに横木安良夫さんに、どうでした、と聞いたら、面白かったよという返事が返ってきたのでほっとした。
フォトグラフィック・カンバセーションズでの町口覚さんのレクチャー。
所幸則さんと太田菜穂子さんのライブトークショー。盛り上がったと言うことだが、僕は最初の紹介だけしかできなかった。残念。
細江英公・竹内万里子フォトフェスティバルの魅力を語ると題したトークショー。やはり、お二人とも経験豊富なだけに話を聞くだけでその場にいるような気持ちになれる。
竹内さんは、フォトフェスティバルのメリットなどを簡潔にまとめて解説された。フォトフェスティバルのミーハーともいえるくらいに深い思いをもたれている彼女の解説はとても貴重なお話なのである。
トークショーの準備作業・キーノートの作成はキックオフイベント開催中にやるしか時間がとれなかった。竹内さんとは前日の深夜まで電話とメールでのやりとりが続いた。聞いてくださった方から後ほど、よかったという感想をいただいたときは本当にうれしかった。
細江さんは、09年11月に招待されたルッカデジタルフォトフェストのことを熱心に語られた。ルッカのことは後ほどご報告します。
スライドショーブースにはヴィクターの最新の写真用ハイビジョンモニターが設置された。これまでのハイビジョンとは比べものにならないほどの写真再現力がある。ヴィクターさんが協力してくれることになったことで、スライドショーデータをかなり作り直さなければならなかったほどディテイルの再現力がある。
ヨコハマフォトフェスティバルのロゴとポスターはアートディレクターの馬淵晃さんのボランティア活動によって完成した。企業から依頼されたら、何千万単位のギャラになってしまう作業をにこにこしながらやっていただいた馬淵さんにはなんとお礼していいかわからない。
沖本尚志さんとAOKI takamasaさんのライブトークショー。AOKIさんとお会いするのは初めてだったが、彼の考え方には非常に共感するところが多かった。
松本美枝子さんと沖本尚志さん。松本さんは準備のために何度も水戸から足を運ばれた。
大和田良さんとPGIの高橋朗さんのライブトークショー。若い二人が話されたテーマはセルフステートメント。これから日本の写真家が世界に打って出るときに非常に重要になる深いテーマだ。
なんと、最後に細江さんが登場して閉会の挨拶。17日は細江さんのプログラムはなかったのだが、ぜひ実行委員長として17日もなにかしたい、という熱い熱いお申し出があってお願いすることになった。写真家をここまで熱くさせるフォトフェスティバルの魅力とは何なのか、これからぜひ日本の写真家にも共有してもらいたい情熱である。
夜の赤レンガ倉庫。赤レンガ倉庫2階のベランダから見る生まれ変わった横浜の夜景がものすごく美しく感じた。
ポートフォリオレビューに関してはおそらく1986年のヒューストンミーティングプレースにレビュアーとして参加した細江さんのお話から、そんなのが日本にあったらいいなあ、と漠然と思っていた。
それがもっとせっぱ詰まった思いに変わったのは2007年か08年にJPSのセミナーで細江さんの口から東京ミーティングプレースという言葉を聞いたからだ。既に北京ミーティングプレースが開かれていたこともあって、僕は細江さんにそのプロジェクトはどのくらい進行しているのですか、と質問した。そうしたら、細江さんからは、そんなプロジェクトは進行していないよ、僕はもうそんなことできる年齢じゃない、永田君達の世代がやってくれたまえ、という答えが帰ってきた。
それから、ヒューストンフォトフェストのウェブを見ているうちにヒューストンフォトフェストはたった3人の創立者から始まったということを知った。すなわち写真家のフレッド・ボールドウィン氏とその奥様のウェンディ・ワトリス、ヨーロッパのギャラリー・ディレクターのペトラ・ベントラーだ。
そうか、今でこそすごい規模のフォトフェスティバルだけれども最初は個人の情熱からはじまっているのか、とものすごく納得がいった。
それで、これはもう僕一人でも始めるしかない、と思ったのだ。ちょうどその頃、フォトグラファーズ・サミットを主催している山田敦士さんとの出会いや彼を応援している横木安良夫さんや五味彬さんとの出会いもあった。
おそらく長く続く不況の中で写真家も自ら立ち上がるしかない、という時代にさしかかったのだろう。
細江さんを訪ねて相談をかさねるうちに、横浜で10年間写真の啓蒙活動につとめているザ・ダークルーム・インターナショナルの齋藤久夫さんを紹介されて、彼も横浜でフォトフェスティバル開催をめざしていることを知って、そこから徐々に話しが進行していった。
今回のキックオフイベントが成功したのは、工作舎時代の同僚である後藤繁雄さんがこの話に興味をもってくれて、強力に全てを推し進めてくれたおかげである。
彼は僕が写真業界で最も信頼を寄せる人であり、その考え方に最も共感できる人だ。写真家ではないが、写真評論家でもない、後藤繁雄さんは、写真家とともに写真をつくる人であり写真の現場にいる人だ。写真の外から写真のことについてあれこれいうのはやさしいことだ。しかし彼のように自ら写真の現場に飛び込んできてともに戦ってくれる人は貴重な存在だ。
篠山紀信もその本の中で言っている。写真は戦場なのだ、と。はたからあれこれ言うのは簡単だが、写真のことはこの戦場でともに戦う事をよしとする人しかほんとうにはわからない、と。
フォトグラフィック・カンバセーションズオープニングの後藤繁雄さんのレクチャー。
今は京都造形芸術大学の教授なんていうえらそうな肩書きも背負っているが、工作舎時代はDEVOの曲を歌ったり、いろいろお茶目なことを一緒にしていた泥臭い仲間である。
G/Pギャラリーの深井佐和子さんと後藤桜子さん。このイベントが決まったときからおそらく徹夜の日々がおおかったことだろう。お疲れ様。
野毛フォトビレッジ・ワークショップの講師の一人、ハービー・山口さんのワークショップ風景。野毛ワークショップはほとんどが野毛Hana*Hanaで開かれたため、僕はインターネットテレビを通じて少しかいま見ただけだった。フォトサミのおりに横木安良夫さんに、どうでした、と聞いたら、面白かったよという返事が返ってきたのでほっとした。
フォトグラフィック・カンバセーションズでの町口覚さんのレクチャー。
所幸則さんと太田菜穂子さんのライブトークショー。盛り上がったと言うことだが、僕は最初の紹介だけしかできなかった。残念。
細江英公・竹内万里子フォトフェスティバルの魅力を語ると題したトークショー。やはり、お二人とも経験豊富なだけに話を聞くだけでその場にいるような気持ちになれる。
竹内さんは、フォトフェスティバルのメリットなどを簡潔にまとめて解説された。フォトフェスティバルのミーハーともいえるくらいに深い思いをもたれている彼女の解説はとても貴重なお話なのである。
トークショーの準備作業・キーノートの作成はキックオフイベント開催中にやるしか時間がとれなかった。竹内さんとは前日の深夜まで電話とメールでのやりとりが続いた。聞いてくださった方から後ほど、よかったという感想をいただいたときは本当にうれしかった。
細江さんは、09年11月に招待されたルッカデジタルフォトフェストのことを熱心に語られた。ルッカのことは後ほどご報告します。
スライドショーブースにはヴィクターの最新の写真用ハイビジョンモニターが設置された。これまでのハイビジョンとは比べものにならないほどの写真再現力がある。ヴィクターさんが協力してくれることになったことで、スライドショーデータをかなり作り直さなければならなかったほどディテイルの再現力がある。
ヨコハマフォトフェスティバルのロゴとポスターはアートディレクターの馬淵晃さんのボランティア活動によって完成した。企業から依頼されたら、何千万単位のギャラになってしまう作業をにこにこしながらやっていただいた馬淵さんにはなんとお礼していいかわからない。
沖本尚志さんとAOKI takamasaさんのライブトークショー。AOKIさんとお会いするのは初めてだったが、彼の考え方には非常に共感するところが多かった。
松本美枝子さんと沖本尚志さん。松本さんは準備のために何度も水戸から足を運ばれた。
大和田良さんとPGIの高橋朗さんのライブトークショー。若い二人が話されたテーマはセルフステートメント。これから日本の写真家が世界に打って出るときに非常に重要になる深いテーマだ。
なんと、最後に細江さんが登場して閉会の挨拶。17日は細江さんのプログラムはなかったのだが、ぜひ実行委員長として17日もなにかしたい、という熱い熱いお申し出があってお願いすることになった。写真家をここまで熱くさせるフォトフェスティバルの魅力とは何なのか、これからぜひ日本の写真家にも共有してもらいたい情熱である。
夜の赤レンガ倉庫。赤レンガ倉庫2階のベランダから見る生まれ変わった横浜の夜景がものすごく美しく感じた。
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