4月26日、日曜日の夕方、写真家渡部さとるさんの主催する2Bにおじゃまする。
渡部さとるさんは2007年のアルル国際写真フェスティバルのポートフォリオレビューに参加された。
僕の方は海外のポートフォリオレビューの知識はほとんどないのでとにかくわらにもすがる思いで、昨年の12月におしかけてアルルとポートフォリオレビューのことをねほりはほりお聞きした。
渡部さとるさんはとてもやさしい方なので、ニコニコしながらいろんなことを教えてくださった。そのアドバイスの中でも一番大切なことは、アルルは小さい町なのでポートフォリオレビュー会場に歩いていけるホテルをまずは確保しないといけない、ということだった。それも参加する年の1月には予約をすませておく必要があると。
フェスティバルは7月の最初の週にメインイベントがあるわけだが、ともかくもホテルと帰りのTGVは早めに押さえておかないと満杯になってしまって身動きがとれなくなるよ、ということなのだ。
さて、日曜日は渡部さとるさんの主催するワークショップの生徒さんたちでアルルのポートフォリオレビューに参加してきた人たちが集まってくださって僕のポートフォリオをみていただいたり、参考になる情報を教えてくださった。
こういうことは直接の体験談が重要なのでとても参考になる。
ひとしきりお話を聞いた後、近くの沖縄料理屋で渡部さとるさん、安井さん、石川さんらと食事。あっという間に時間がたってしまった。
2009年4月28日火曜日
2009年4月25日土曜日
ルシアン・クレルク
都写美でやなぎみわの写真展を見たついでに、4階の図書館にたちよる。
アルル国際写真フェスティバル(RENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE)の創始者ルシアン・クレルクの写真集があるかもしれない、と思ったからだ。
調べたら、ありました。
結構10冊以上もある。今までルシアン・クレルクという写真家に全く興味がなかったので、なんとなくヌードを撮る人と思っていたのだが、これは大間違いの認識であった。
「Eros and Thanatos」「Footprints of the Gods」といった写真集のタイトルにまず眼がひきつけられる。
砂浜に打ち上げられた猫や鳥もうなんだったかわからなくなってしまった動物の屍体。
豊饒な肉体を持った女性のヌードは顔が特定できない部分をうつしだしたものでたいがい海の中につかっていて水とのからみで描写されている。
闘牛、ジプシー、そしてジャン・コクトーやピカソのポートレート。
きわめつけは、アメリカ、ポイントロボスの不思議な大地の模様をうつしとった写真集「Footprints of the Gods」だ。この写真集は宝島の著者スチーブンソンとエドワード・ウェストン、ウイン・バロック、アンセル・アダムスへのオマージュになっている。
ルシアン・クレルクの写真集を見ていると、20代の頃にアンドレ・ブルトンやシュールレアリスムの画家たちにひきつけられていた頃のことが思い出された。
素朴な表現の写真なんだけれど、イメージの根源を探求していこうという心がすごくストレートにあらわれている。天地創造のあらあらしいエネルギーに思いをはせていたことが如実に伝わってくる。
年代記をみると1934年8月14日にアルルで生まれたとある。
そして RENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE のディレクターをしたのが1970年。
2009年の今年はRENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE の40回目。
そうなのだ。ルシアン・クレルクはRENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE の創始者だったのだ。
アルル国際写真フェスティバル(RENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE)の創始者ルシアン・クレルクの写真集があるかもしれない、と思ったからだ。
調べたら、ありました。
結構10冊以上もある。今までルシアン・クレルクという写真家に全く興味がなかったので、なんとなくヌードを撮る人と思っていたのだが、これは大間違いの認識であった。
「Eros and Thanatos」「Footprints of the Gods」といった写真集のタイトルにまず眼がひきつけられる。
砂浜に打ち上げられた猫や鳥もうなんだったかわからなくなってしまった動物の屍体。
豊饒な肉体を持った女性のヌードは顔が特定できない部分をうつしだしたものでたいがい海の中につかっていて水とのからみで描写されている。
闘牛、ジプシー、そしてジャン・コクトーやピカソのポートレート。
きわめつけは、アメリカ、ポイントロボスの不思議な大地の模様をうつしとった写真集「Footprints of the Gods」だ。この写真集は宝島の著者スチーブンソンとエドワード・ウェストン、ウイン・バロック、アンセル・アダムスへのオマージュになっている。
ルシアン・クレルクの写真集を見ていると、20代の頃にアンドレ・ブルトンやシュールレアリスムの画家たちにひきつけられていた頃のことが思い出された。
素朴な表現の写真なんだけれど、イメージの根源を探求していこうという心がすごくストレートにあらわれている。天地創造のあらあらしいエネルギーに思いをはせていたことが如実に伝わってくる。
年代記をみると1934年8月14日にアルルで生まれたとある。
そして RENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE のディレクターをしたのが1970年。
2009年の今年はRENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE の40回目。
そうなのだ。ルシアン・クレルクはRENCONTRES D’ARLES PHOTOGRAPHIE の創始者だったのだ。
2009年4月23日木曜日
はじまり
写真家細江英公さんからヒューストンフォトフェストのミーティングプレースのことを聞いたのはいつのことだったか。ずいぶんと昔のような気がする。
ヒューストンで開かれるフォトフェストにミーティングプレースというイベントがあって、そこでは写真家がお金を払うと、ギャラリストや美術館のキューレーターにポートフォリオを見てもらえるということだった。
フリーのフォトグラファーは常に営業、売り込みをしていかなければなかなか仕事にありつけない。
そこをお金を払ってみてもらう、というシステムにしたことの合理性がとてもおもしろく感じた。
とは言っても遠い国の話で自分には関係ないと思っていた。
ところがここ数年の間に発達したインターネットのおかげでこのシステムが日本でも身近なものになってきたのだ。
ヒューストンで開かれるフォトフェストにミーティングプレースというイベントがあって、そこでは写真家がお金を払うと、ギャラリストや美術館のキューレーターにポートフォリオを見てもらえるということだった。
フリーのフォトグラファーは常に営業、売り込みをしていかなければなかなか仕事にありつけない。
そこをお金を払ってみてもらう、というシステムにしたことの合理性がとてもおもしろく感じた。
とは言っても遠い国の話で自分には関係ないと思っていた。
ところがここ数年の間に発達したインターネットのおかげでこのシステムが日本でも身近なものになってきたのだ。
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