2011年12月13日火曜日

「World’s End」と「電気の敵」

3.11の大惨事のあと、アートや写真に携わる人から無力感を感じたという記述をよく目にすることが多かった。

しかし、はたしてそうなのであろうか。

自然災害は人類の歴史上、常にどこかで襲ってくるものだ。問題は大惨事の前後の僕たちの日常茶飯のたたずまいなのではないだろうか。
戦後、日本が豊かになるにつれて、僕たちが失ってきたものは光があれば闇があるというしごくあたりまえの日常を支配する原理へ思いをはせる想像力の欠如だったのではないだろうか。
アーティストも含めた大部分の日本人がこの想像力を失ってきてしまった。
原子力発電という狂気の技術をはびこらせてしまったのも、この想像力の欠如が大きな要因となっていると思う。

昨年7月に見た川田喜久治氏の「World’s End」のスライドショーでは六本木の路上や東京の街を行きかう人々から発せられる異常ともいうべきクライシスの様相がとらえられていた。一見平穏無事な日常の風景は氏のカメラによって中世の地獄絵巻のような風景にとってかえられていた。

最近ふと読んでみた稲垣足穂の「電気の敵」には父に電気の配線を調べてくれと言われた私が見た自宅の配電盤からおびただしい火花がほとばしっている光景から、らんらんと燃えさかっているような月、外に出て自転車にまたがろうとした私にしがみついてくる丸裸の妹のねばねばとした熱い感触といった記述から一気にこの世の終末風景が展開する。

なんという想像力であろう。なにげない日常の風景から時空を越えた終末世界が展開することをまざまざと見せてくれるのである。

九死に一生を得た人間が見上げた空はすばらしく美しかったであろう。身のまわりの普段は取るに足らない草木中魚のひとつひとつが光り輝いて見えたことだろう。

アーティストの想像力とはこのような感覚を日常に見せてくれる技術のことだ。日常茶飯のことからエロティシズム、グロテスクといったバッドテイストな領域、終末の恐ろしい光景までもを美の様式として成立させるのがアート的な本質である。

僕たち人間ひとりひとりの長い一生も、永遠の時間感覚から見ればほんのまばたき一瞬のことだ。僕たちにとって死だけが神から約束された確実な未来の光景である。

日本人はこうした死生観をジャパネスクという美の様式に昇華させて着物や屏風や茶器といった日常茶飯のすみずみにわたって天上界と地上界、死と生を結びつける想像力を喚起する装置をしつらえてきた。

近代以前の日本人が脈々と築き上げてきたジャパネスクという美の様式こそ、時には恐ろしい爪をむきだして自分たちに襲いかかり、時にはこの世のものともおもわれない至福の瞬間を感じさせてくれる自然の理とむきあう方法論なのだ。

このすばらしい想像力を失ってきてしまったことを僕たちはもう一度真摯にとらえなおさなければならないだろう。

2011年8月27日土曜日

フォートコリンズとC4FAP

 The Center for Fine Art PhotographyはNPOの写真文化センターみたいなところだ。創立は7年前だそうである。運営費はコンペの応募代、ワークショップの授業料、フォートコリンズ市のファンドからなっているそうだ。

しかし、なぜこのような小さな街にこんなものがあるのだろうか。その辺をディレクターのハミダさんに聞いてみた。フォートコリンズは小さな街だがゆったりしていてゆとりがある。しかもロッキーマウンテンパークや北に行けばワイオミングのような自然が豊かな場所でもある。デンバーからもクルマで1時間という立地。つまり、都市と自然との中間地点にあってファインアートフォトを学んだり鑑賞したりするのにはぴったりというのである。
サンタフェもアルバカーキから1時間半の片田舎だが美しい街だった。しかも全米で3番目にアートが盛んな都市であるという。フォートコリンズもよく似た環境なのだ。
なによりも自然環境に恵まれていて、土地代も安いから、ニューヨークなどの大都市からもアーチストが移住してきて製作の場にしていることも多いらしい。

グーグルやアップル、スターバックスといった新興企業のお膝元は日本で言えば皆地方だ。ダウ平均の会社のなかでニューヨークに本社のある企業はわずか2社くらい、という。新しい発想で新しいことをやるのには土地代も安く、環境もよく、のびのびと働ける場所がいいに決まっている。

実際フォートコリンズに来てみるとその環境のよさに思わず身体がリラックスしてしまう。滞在中はハミダさんの家に宿泊させてもらっていたが、C4FAPまではクルマで5分というところ。それなのに目の前はゴルフ場と湖という立地だ。庭も広くて、ラズベリーやトマトやバジルを植えている。犬が2匹、猫1匹も同居している。若いジャクソン(犬の名前)はハミダさんの留守中はこの広い庭を駆け巡っているので運動不足になることもない。

近くには牧場やBerewry(小さなビール製造所)などがたくさんある。
またダウンタウンは歴史のあるオールドタウンでとてもきれいだ。ディズニーのスタッフが住んでいたそうで、ディズニーランドを作る際に街並みの参考にするので写真を送ったところすぐ採用になったそうだ。つまりディズニーランドの原型となった街ともいえる。
小さな街だが高級レストランから和食、タイ料理までいろいろなレストランもある。コロラドステートユニバーシティもここにあり、若者もたくさん住んでいる。

ディレクターのハミダさんと毎日いろいろな話をするうちに彼女の前の仕事が広告のディレクターであることもわかってきた。わりと保守的なアメリカの写真業界で僕の作品に注目してくれたのも彼女のそうした来歴にも関係がありそうだ。また彼女の父親もアート関係のディレクターの仕事をしていたそうで、家には父親のシュールレアリスムの影響を受けたとおぼしきセラミックアートがたくさん飾られていた。
広告のディレクター時代から世界を旅してきた彼女の発想はとても柔軟だし、毎日を楽しむことにもたけている。今年はサンタフェでのCenterの会議、ポーランドのフォトフェスティバル、ドミニカ共和国への個人旅行にいく予定とうれしそうに語っていた。

帰り際には、じつはThe Center for Fine Art Photographyという名称を変えようと思っている、と話してくれた。スーザン・スピリタスとのコラボをはじめ、ニューヨークのスール・エトワールのコリンヌ・タピアさん、クロンプチンギャラリーのデボラ・クロンプチンさんなどともこれからコラボレーションの予定があるそうだ。彼女らと話していく過程で今の名称が果たして適切なのかどうかが話題になったそうなのだ。
何度も言うようだがアメリカのファインアートフォトの市場はまだ保守的なところがある。ファインアートフォトといえばアンセル・アダムスが先ず頭に浮かぶというのが正直なアメリカの状況だ。しかし、もう時代はあきらかに次へと進行している。C4FAPもどんどん進化をとげようとしているらしい。新しい流れは地方から、がアメリカの定番。
僕も思わず、いいね、それ。フォートコリンズに世界中から新しい写真家が集まってくるようになるといいね、特にアジアからね、とエールを送った。

C4FAPの入り口。娘のせらもレセプションの時は浴衣で登場。通訳のダンさんに折り紙を教えている。
東西タトゥー対決。実は彼は写真家で優秀なC4FAPのワークショップの先生でもある。

近くには牧場がいっぱいあって、子供達が羊や鶏、豚、牛を見たりポニーに乗ったりできる。
Berewryの一つでビールのテイスティング。シンプルなのからギネスみたいな黒ビールまで各種ビールを楽しめる。
ビールのラベルもそれぞれこっている。
土曜日にはハミダさんのお友達で写真家の牧場でバーベキューパーティ。家の地下には写真作品が多数展示してある。庭には特大のビニールプール。実は写真は趣味の領域だそうで、自分の会社のCEOなのだそうだ。
やっぱり金髪の子供はかわいい。娘もさっそく友達になった。
この地方の見本市にもでかけてみた。写真はラマ。豚の品評会や犬のジャンプ競技、ロデオなどが行われていた。
ダウンタウンの中心では毎木曜日には無料のライブ演奏が行われている。僕が行った次の週は街全体で音楽祭が開かれるという話だった。
ダウンタウンの土産物屋。昔はゴールドラッシュにわいた地域だそうで、今でも鉱物資源で有名だそう。僕の個展のポスターも貼られている。
オールドタウンの街並み。
ディズニーランドのモデルとなった建物。
レストランも戸外で食事できるところが多くダウンタウンの中心街はとにかくゆったりとすごせる。
ハミダさんの家の前の湖。
ハミダさんの父君のセラミックアート。
ハミダさんの家の庭は娘の保育園の園庭よりも広い。娘は毎日バッタとりをしたり、ボール遊びをしたりしてのびのび遊んでいた。
ハミダさんの愛犬ジャクソン。
ダウンタウンの高級レストランで娘はチョコレートケーキを注文した。
ロッキーマウンテンパークにはスーザン・スピリタス・ギャラリーの仲間のエイドリアンが家族を伴って案内してくれた。
夏の戸外は30度を超えるが乾燥しているため日陰に入ると涼しい。ロッキーの山頂は雪もあって寒いくらいだ。雪解け水の滝の水もつめたくてきもちがいい。
アメリカではよくリスをみかけるが、シマリスを見かけたのははじめて。他にもハチドリやホーンのある鹿などもみかけた。

C4FAP個展開催へのプロセス

The Center for Fine Art Photography North Galleryでの福福星の個展は海外での初めての個展です。
今後同じように海外で個展を開催する写真家のために個展開催までのプロセスを記しておこうと思います。

The Center for Fine Art Photography(C4FAP)のディレクターのHamidah Glasgowさんとはヒューストンのフォトフェストのミーティングプレースではじめてお会いしました。福福星を気にいってもらい個展の可能性もある、という話はその場でもありましたが具体的な話にいたるには時間がかかりました。

日本に帰ってからはメールでのやりとりがあり、まずデンバーインターナショナル空港(DIA)での1年後に予定されているグループ展に福福星を出さないか、という話が進行しはじめます。
まずはこちらからのアクションが大事だと思いグループ展のコンペへの応募をするようにしました。それとC4FAPのウェブの中に個展へのプレゼンテーションが可能だという箇所を見つけたのでガイダンスにしたがって資料を用意してメールを送りました。

Hamidahさんとは2011年1月のフォトLAでもお会いすることができたので、DIAの打ち合わせをしました。
DIAは大きな公共スペースなので、大きなプリントのほうがインパクトがあると思い、できるだけ大きなプリントにしよう、と僕から提案。Hamidahさんも賛成してくれました。ロサンジェルス在住の渡邊博史さんからは大きなプリントは税関でひっかかるときもあるのでなるべく現地でプリントした方がいい、という話も聞いていました。偶然、同じSusan Spiritus GalleryのアーチストであるAdrian Davisさんがプリントサービスもやっている、という話があり、なんと彼の住まいは C4FAPのあるFort Collinsということでこの問題はあっさり解決。
AdrianとはデータとA2サイズのプルーフプリントのやりとりをしながら調整し、40X60インチサイズのプリントを5カット、20x30サイズのプリントを1カットプリントしてもらうことになりました。なにせ写真家ですからカラーコントロールに関しては何の心配もいりませんでした。プリント代も日本の半額くらいの値段でやってくれることになり、大きいプリントに関してはもう万々歳というところです。

DIAの会期は6月から10月が予定されていましたが、これが2転3転して結局C4FAPのCenter Forward展をそのまま持って行き福福星に関してはA2サイズのプリントを3点追加することなりました。個展の方は年末くらいの可能性を言われていましたが、これで予定が変わったのか7,8月か来年の2,3月という提案があり、それなら早いほうがいいだろうと夏場を選びました。スケジュール的にはかなりタイトだな、と思いましたが来年ではちょっとまのびしそうだったので早い時期を選びました。
今回の個展は会期もほぼ2ヶ月と長く、レセプションとアーティストトークは会期半ばになるので会場設営などは現地のスタッフにおまかせするしかない、ということが先ず一番の問題でした。

まずはレセプションなどの日程がしめされたので、現地に行くスケジュールを先にたてて、航空チケットの手配をしました。8月5日、6日には現地にいなければならずこの時期は夏休みのハイシーズンなのでチケット代が高くついてしまったのは痛かったです。

さて具体的な作業ですが、まずHamidahさんからC4FAPのNorth Galleryの見取り図とスナップが送られてきたので、それをもとにプリントのサイズと点数、レイアウトを構想します。結構小さなギャラリーですが、タッパがあるので最初は高い位置まで展示して点数を多く見せるレイアウトをしてみました。

レイアウト作業は現地の見取り図を元にフォトショップで壁面をつくり、そこに写真データを貼り付けていきます。また段ボールで立体の模型をつくってそこにフォトショップでレイアウトしたプリントを貼り付けて実際の空間の見え方をチェックします。
段ボールで簡単に作った模型を撮影してパースをつくり、それをHamidahさんに送って打ち合わせをしました。Hamidahさんからは少し点数が多すぎるので減らした方がいいという意見があり、再構成してまた同じ作業をして送ります。今度はいいんじゃないかということで、レイアウトが決まります。

福福星はかなり初期のデジタルカメラ、Kodak 14nx をISO1600で撮影していますのでノイズの多い絵柄です。それを40X60インチにのばすのはかなり無理があります。それで広告の仕事でよくお世話になっていたジャパンデジタルイメージのレタッチャーに相談してめのばしの技術をおそわりました。ジャパンデジタルイメージはデータメーキングという小さなデータから大きなデータを作り上げることの技術に定評があります。35ミリデジタルカメラで撮影した花の写真を大阪丸井の壁面いっぱいにのばす作業もやってもらったことがあります。
しかしこの作業は地道な手作業の要素が多く時間のかかる作業でした。作業に取りかかる前はこんな作業は不可能じゃないか、と思えるのですが、とにかくこつこつと何時間も作業を続けていくとなんとか1カット2日間くらいかかって完成していく、というしろものです。Adrianにデータを送ってプリントしてもらわなければならない都合上この作業を一番に仕上げました。
Adrianからは送ったデータは完璧なのでまったく問題なし、と言われましたが現地に行って聞いた話ですと、アメリカではこういう場合レタッチでの作業はしないで、データを先ず小さくし、そのデータからフィルムをつくります。そのフィルムを使って大きく引き延ばすそうです。ただこの作業はコストが高くつくそうです。

C4FAPのいいところは額装しなくても写真をそのままマグネットでとめて展示できるところです。この方式を使うと額装代が節約できます。
僕は5点だけゴールドとシルバーのフレームをつくって額装し、あとはマグネット方式にしました。フレームは染め刷り師の木田俊一さんから紹介された野田展史さんに依頼。丁寧な仕事で完璧な額装をしてくれます。
宗教的な雰囲気を演出したかったので、ゴールドとシルバーの額をつくってみました。

プリントの搬入の締め切りが決まっているので、その日の1週間前にフレームやプリントを郵便局のEMSで送ります。フェデックスに比べるとかなり安く送れますがそれでもフレーム付の作品は重くかさばるのでかなりの料金をとられます。EMSでもフェデックスと同じようにインターネットで追跡調査ができるので現地に着いたことが確認できて便利です。

現物を送ってしまえば一安心です。あとは作品のリストを送ったり、ポスター用のデータを送ったりなど、細かいメールでのやりとりが続きます。少し大きめのデータなどはメール添付ではなく、Yousenditというファイル転送サービスを使います。このサービスは日本と同じように無料のものと大きな容量を送れる有料のサービスがあります。

一番時間がかかったのがアーティストトーク用のKeynoteづくりです。先ず日本語で原稿をつくって、翻訳は井元智香子さんという方にお願いしました。若い翻訳家ですが、とても丁寧な仕事をしてくださるので助かります。
翻訳ができてきて自分でも読んでみましたが、難しい単語もあって自分でしゃべるのはかなり難しいな、と思いました。夏休みをかねて家族で行くことにしていたので現地では奥様のセリーンにしゃべってもらうことにしていましたが、彼女の仕事の都合と入院中の義理の母の具合が悪いことなどがかさなって、急遽同行しないことになりました。

そこで、Keynoteにセリーンにナレーションを吹きこんでもらって、それを現地で流すことに方針をかえました。
ナレーションつきのキーノートは25分あり、それに福福星の7分のスライドショーを作成して見てもらうことにしました。トークの時間は1時間なので時間配分もちょうどいいとみていました。Hamidahさんにもそれぞれの長さを伝えておいたので問題なしとふんでいました。

当日通訳がいる方がいいな、と思いミキシなどでもよびかけてみましたが日本ではみつかりませんでした。しかたがないのでHamidahさんに一任して、いなければしょうがない、ということで腹をくくりました。
結局Hamidahさんが C4FAPのボードメンバーによびかけてFacebookに載せてみたところわずか10分でDanさんというエンジニア系の方ですが、日本に何回かいらっしゃって仕事をしている方が見つかりました。

念入りに用意していたキーノートでしたが、現地についてHamidahさんにみてもらったところ、内容はすごく好評だったのですが時間を10分に切り詰めたいという話になり、ナレーション付のキーノートは切り貼りができないので、前半だけ流してあとはHamidahさんが概略を説明し、あとは質問タイムとスライドショーを流すことに土壇場で決定。まあどたばたですね。でもアメリカ人はなんかこの辺は全然気にしてません。

アーティストトーク用の原稿をつくることは自作を客観的に見ることにとても役立ちます。アーティストステートメントを書くことも同じ意味から重要ですが、アーティストトークではさらにつっこんで自作を解説することになるからです。さまざまな角度から自作を考えることによって思いがけない発見もでてくるのです。

通訳のDanさんは主に5歳の娘の遊び相手になってしまい、質問タイムは結局僕がへらへら英語で答えることになりました。質問がわからないときはDanさんに聞いた部分もあります。
それから同時におこなわれているBlack & White展との合同レセプションになりました。結局皆さんぼくのところに来てはいろいろと質問したりするので、これじゃ通訳がいてもだめだな、と実感。こういう時は半分くらいしか通じなくても直接対話がいいんだな、と感じました。学生の子なんかは、こちらがわかっている、いないにかかわらずぺらぺら自分のことをまくしたてますし、まあそういう文化なんでしょうね。

地元の彫刻家からは、アメリカ人のアーティストは自分のことばかりがなりたてるけど、おまえはそうじゃないから気に入った。ロートレックは当時の酒場やダンスホールに行って絵を描いたんだ。おまえのStar of the Starsも同じことなんだよ。と、はげまされたりもしました。

ひとりの女性からサインしてくれ、といわれたときは、ほんまかいな、とびっくり。写真集がまだなかったのが残念でしたが、パリにはじめてロケに行ったときに偶然ヘルムート・ニュートンとチャイニーズレストランで遭遇してサインしてもらったときのことを思い出して、その女性の名前を聞き、 To ○○○○ with my best wish なんて言葉をそえてサインできたのはミーハーしたおかげです。(日本に帰ってからヘルムート・ニュートンのサインを確認したところFor Yoichi Nagata with my very best wishes Helmut Newton 12.6.1986となってましたけどね)

現地にいる間はずっとディレクターのHamidahさんの家に宿泊させてもらいました。現場からクルマで5分の場所でしたが目の前はゴルフ場と湖というすばらしい環境です。犬がいるからホテルにするか、といわれましたがこういう場合はホームステイのほうが断然いいのです。どちらにしてもアーチストの現地滞在費はだしてくれるようです。 Fort Collinsはデンバー空港からクルマで1時間の街ですが、空港までの送り迎えもHamidah さんがきてくれました。
作品制作代や航空チケット代などこちら負担の経費も多いのですが、作品の返却費用はセンターでもってくれます。
また、ソロショーをやったアーチストにはギャラがでるのだ、ということで500ドルが支払われました。これはとてもありがたいことでした。

ハミダさんから送られてきた仕様とスナップ、インチをメートルに直してスケール感を実感できるようにします。
フォトショップでシミュレーションした展開図をプリントアウトして簡単な展示模型を作ります。
模型を撮影してパースを作ります。
メリハリをつけるために5点だけ金箔、銀箔のフレームを作りました。扱いがデリケートでせっかく野田さんが作成してくれたフレームの記録撮影をする過程で傷つけてしまいました。野田さんは文句も言わずに丁寧に補修してくださいました。
金箔・銀箔のフレームは十時にレイアウト。
North Galleryでの実際の展示風景1。
North Galleryでの実際の展示風景2。
North Galleryでの実際の展示風景3。
C4FAPでは写真家の便宜をはかるために額装なしでもマグネットを使って直接壁に展示できるようになっている。額装、マットはどうしても経費のかかる部分なので大変ありがたい。40x60のプリントもマグネットでとめてしまえるのにはびっくり。
アーティストトークのお知らせ用メール。こうした広報関係はスタッフのNicoleさんがすべて用意してくれる。
地元の雑誌のウェブにもお知らせが掲載された。
レセプション風景。
アーティストトーク用にはMac Book Proを持参したが、スピーカーとうまくつながらずにハミダさんのMacを使った。

地元のショップにはいろいろなお知らせ用のポスターが貼られている。小さな街なので小さなポスターが効果的。

2011年5月21日土曜日

ミーティングプレースの成果は?

さて、わざわざ日本人にはあまりなじみのないヒューストンまで出かけていってポートフォリオレビューを受ける意味合いはどれほどあるのであろうか。

人によってさまざま、としか言えないだろうと思う。僕も,見てもらったレビュアーからの具体的な話は特になく、てごたえはあまりなかったように思う。ヒューストンフォトフェストというものがどういうフェスティバルなのか、とにかく見てみなくてはという思いが強く、創立者のフレッド・ボールドウィンさんとウェンディ・ワトリスさんご夫妻に話しをうかがい、ヒューストンという街の写真展を見て歩き、再会したレビュアーと話をしたり,新しく知り合った写真家やレビュアーと食事をしてうちとけたり、という時間をすごした。

ただ、フローティングレビュアーとして参加していたThe Center for Fine Art Photography(略してC4FAP)のディレクター、ハミダ・グラスゴーさんと知り合って、僕の写真を気に入ってもらうことができた。それからC4FAPのコンペに応募したり、個展のプロポーザルをしていく過程で、今年の7月から個展を開くことが決まった。時間がかかったので,ミーティングプレースの成果としての認識が薄かったのだが、C4FAPのフェースブックのファンページで改めて言われてみて、そうだったのだな、と感じる。

アメリカの写真家達もそうなのだが、とにかくコツコツとポートフォリオレビューに参加し,グループ展に参加し,自作のプロモーションを続けながら新作をとっていくという作業をし続ける他はない。

The Center for Fine Art Photography facebook


ヒューストンミーティングプレース

2010年のミーティングプレースの募集は2009年の7月だった。ミーティングプレースはヒューストンフォトフェストの期間中のメインイベントになる。
フォトフェストは2年に一度のお祭りなので次回は2012年。今年の募集は6月1日からということで2009年よりも早くなった。

ミーティングプレースは4つのセッションのコースがあり、それぞれレビュアー陣が異なる。参加したい写真家はまず、応募してから抽選結果を待つことになる。参加出来ることになったら、どのセッションに参加するかを決めて参加費を振り込めばミーティングプレースへの参加が確定する。
一つのセッションに参加するレビュアーは約50人位。参加が決まると,見てもらいたいレビュアーの順位を1〜25番までつける。
2010年のセッション1では18名のレビュアーに見てもらうことになった。4日間で1日4人から5人のペースのレビューをこなすことになる。
2010年の参加費は820ドルだった。円高がいつまで続くかわからないが、ともかくも今は日本から参加することは円高の恩恵がある。

正規のレビュアーの他にもフローティングレビュアーというレビュアーがいてレビューの合間にもそうしたレビュアーにみてもらったり、次のセッションに参加するレビュアーがいるのをみつけて、みてもらったりすることもできるし、セッションの終わったあとにも人気のあるレビュアーに並んでみてもらうこともできる。

その他にもセッションとセッションの間の日程にマリー・ヴァージニア・スワンソンなどのワークショップも用意されている。2010年の時はスワンソンのワークショップで写真家のプロモーションにウェブをどう使うか,というテーマでおよそ1日の長いワークショップが開かれた。

ポートフォリオレビューが終わると、参加した写真家はバスツアーでヒューストンの街の各所で開かれている写真展のレセプションやパーティなどをみてまわることができる。そのあとは,市内のレストランの集まっている場所におろしてくれて、そこでディナーをとることになる。アメリカのたいがいの都市のようにヒューストンもとても広い街で移動の手段はクルマなのでこのバスツアーに参加することで効率的にフォトフェストを楽しむことができるようになっている。

開催場所はダブルツリーホテルの会議室で、参加する写真家もレビュアーもたいがいここに宿泊することになる。ディナーから帰ってきたあともホテルのロビーやバーでレビュアーと写真家が具体的な仕事の話をしたり、談話をしたりとレビューのある期間はほんとうに忙しい。

ヒューストンへのアクセスは,サンフランシスコ経由かロサンジェルス経由になる。僕の場合は夕方便で出発して同日の夕方にヒューストンに着いた。サンタフェのようにアルバカーキからバスで移動というようなことはないのでアクセスは比較的楽だと思う。


最初のセッションの前日にはウェルカムパーティが開かれる。
参加する写真家はこのネームタグをつける。
レビューの交換を求めるボード。
レビュアーの机の番号を知らせるボード
レビューの時間は8時30分から12時30分までと1時15分から4時45分まで。
会議室の前にはブックショップが出来る。

ここでも写真家同士でお互いのポートフォリオを見せ合う。
プラネットアース展に一緒に参加することになったElain Duigenan。
レビュー風景。


ニューヨーク、チェルシーのギャラリスト、ブライアン・クランプ
ニューヨーク、チェルシーのギャラリスト、ウィリアム・ハント

大きい作品を見せるスペースも用意されている。

マリー・ヴァージニア・スワンソンのレビュー
サンタバーバラミュージアムのキュレーター、カレン・シンシャイマー
ヒューストン・ミュージアム・オブ・ファインアートのキュレーター、アン・タッカー。僕はよく知らなかったのでみてもらわなかったのだが、あとで川田喜久治氏から、彼女が川田氏の最大のコレクターだという話を伺って悔しい思いをした。
カナダの写真家。川田喜久治氏を信奉している。写真の感じも、なるほどと思わせるトーン。海外の写真家で川田氏の影響を受けた人をはじめて見た。
韓国の写真家Yi Hyuk Jun.
北京の写真家。Peikwen Cheng
スーザン・スピリタス・ギャラリーの人気作家であるスーザン・バーンスタイン。彼女は現在知名度もあるし、作品も売れているが、それでもポートフォリオレビューに参加して新しいマーケットを開拓し、アートフェアにも出かけていって自らの作品解説をコレクターに熱心にする。他の写真家には気軽にアドバイスをすることにも熱心だ。渡邊博史さんも彼女の姿勢には頭が下がる,といっている。
一般の人に公開されるオープンポートフォリオナイトもある。

地元の中学生か。熱心に見ている。
志鎌猛さんはフォトフェストのディスカバリーという新人の写真展に前年参加して招待されての参加。プラチナプリントの作品にひきつけられている人がたくさんいた。

ピンク&ブルーの作品が有名な韓国のJeongMee Yoon
レビューサンタフェに参加していた写真家も多く見かけた。たいがいウエストコーストの写真家なので、フォトLAでも再会して顔なじみになっていく。