2011年3月29日火曜日

自分自身で考える

『The Value of a Dollar_1ドルの価値』と題された写真展がコロラドにあるThe Center for Fine Art Photographyで3月11日から開かれている。ニューメキシコに住むJonathan Blaustein ジョナサン・ブラウスタインの個展だ。

写真はニューメキシコ州内の様々なマーケットで購入した1ドル分の食べ物をたんたんと撮影したもの。これはグローバル化によってますます巨大化する食品産業に対するシニカルな批評となっている。テレビや雑誌を見ればこれらの食品が膨大な広告費用をかけてものすごくおいしそうな食品として我々の目の前につきつけられているさまをこれでもか、というくらいに毎日毎日みせつけられる。

写真というメディアをいかに使うのか、ということはそれぞれのアーティスト次第だろう。写真というメディアの使い方は無限と言っていいほどに広がっている。それこそとんでもなく自由なメディアといえると思う。

大切なことは、アーティストとしても一市民としても世界に起こっていることを自分自身でよく検証して自分自身の判断をしなくてはならない、ということだろう。

われわれ日本人は、自分自身で原典などにあたったり、資料を調べたりして独自の判断をする、ということが苦手なのではなかろうか。
島国という特性なのか、他人がいったことをよく検証もしないですぐに信じてしまったり、きちんと資料を調べることもしないで批評を述べる、ということがよくありはしないか。

かくいう僕も原発事故を目の当たりにしてあわてて業務用とろろ昆布をネットで買ってしまって、肝心の娘が食べてくれないので困っている。

天災を避けることはできないが、僕らの頭と手をつかって日々の暮らしから国家の方針にいたるまでプランを描くことは面倒をいとわなければ誰にでもできる。すべてをあなたまかせにすることをやめれば、これまでとはまったく違う日本の姿、日々の生活が実現できる。

アートの発想もまたしかりだろう。こつこつと自分の頭とからだを使って現実と向き合っていくことで何かが生まれてくる。想像力は無限のエネルギーだから。

Center for FIne Art Photographyでは毎回のグループ展にくわえて、個展の開催も行われている。各テーマのグループ展の賞に個展開催のチャンスがあることもあるし、また個展開催のプロポーザルも受け付けている。

The Center for Fine Art Photography

原発一基5000億という記事があったように記憶しているが5000億の予算で日本全国の電球をすべてLEDにすると非常な節電効果があるというような提案から自らの家を防災・エコシステムにするべく実証していくといったコラムまでとても実証的な山根一眞氏のコラム。

山根一眞氏のコラム


東電の無計画停電を戦略的エネルギーシフトに、という提案書。環境エネルギー政策研究所。

プレスリリース

震災復興ではなく、まったく新しい発想による日本創造の提案などが識者からだされている。下記コラム中の冷泉彰彦氏の提案は村上龍の発行するJMMメールニュース from 911 USA レポート 505回に掲載されている。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110323/219107/

原発なし、電力7割で生活しますか。

再生可能エネルギーの高コスト問題

ゼロエミ電源としての原子力への期待という記事を含む低炭素エネルギーシステムのコラム


マクドナルドのダブルチーズバーガー 
エビ味のインスタントラーメン
ShurFineのパン
Supersaveの牛のすね肉

2011年3月24日木曜日

神の領域とアーティスト

僕は生まれてからこの方ずぅーっと、自分の生きている世界、自分の生きている文明社会というものは進歩しているものだとばっかり思っていた。
ところがここ数年、さまざまな資料を読んだり、体験したことを考え合わせてみるとどうもそうじゃないんじゃないか、と思えてきたのである。

それは、自分にとって、また人間にとってほんとうのハッピネスとはどういうことなのだろうか、ということを考え出したからなのだろう。

楽園やユートピアというものがかつてはあったが、その楽園を追われたあとに今の人類の歴史が始まった、という物語は世界にさまざま分布する。それはいわゆる暗喩なのだ、と思っていたのだが、実はそうではなかったのではないか。実際にユートピアのようなハッピネスを味わっていた人類の幸福な時間が過去にあったからこそそうした物語が語りつがれてきたのではないのか。

ECO JAPANという日経BPのオンラインの記事にこのようなコラムがある。一部紹介しよう。

「人間という生物の出発を何処に設定するかによって多少数字は変化するが、はるかな祖先である猿人とすると、人間の歴史は600万年程度になる。そのうち 99.8%の時間を祖先は狩猟採集で生活し、残余の0.2%の時間に農業牧畜を手中にした。産業革命により工業生産が社会の重要な生活手段になったのは、せいぜい300年前程度であるから、比率にすれば600万年の0.005%という直近のことである。

 人間は狩猟採集社会から農耕牧畜社会へ移行し、さらには工業生産が社会の主要な生産手段になる時代を開発してきたという解釈が学校で教育され、その順番で人間は進歩、もしくは発展してきたと説明されるのが一般である。このような解釈は進歩史観と命名され、ある理想の状態を目指して社会は着実に進行していくという理屈である。しかし現在、そのいずれもが破綻に直面しつつある。」(月尾嘉男の『環境革命の真相』
第10回 進歩史観からの脱却が 環境問題解決への一歩)

環境の深刻な限界に直面して欧米を中心とした進歩史観は重大な危機を迎えている、ということを訴えた説得力あるコラムである。詳しくは原文を参照してください。

http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090327/101184/

また「地霊、聖なる大地との対話」ジョン・ミシェル著には次のような文章がある。

「文明が生まれる以前、地球はひとつの宇宙神と考えられていた。それは物質としての大地ではなくひとつの精霊であり、古代の哲学者によれば霊力によって生きる一体の生物だった。太陽の光を受けて生命力を発揮し、生殖力にも恵まれるという意味からすれば、大地はまさに一人の女性である。・・・・だからこそ、処女なる大地の豊かな恵みに満ち足りた自然状態の人間は、その大地に瑕(きず)をつけるような計画ー地表をわずかでも変えようとする提案ーを余計なおせっかいとも神を恐れぬ所業とも見なすのだ。」

古代の人類は、開墾という農作業や家を固定的に大地に建てるということを忌避したり、たとえそうすることが必要になった場合でも地霊に深く感謝したり生け贄をささげたりしていた、ということである。

今の今、僕たちはよりいっそうの快適さを求めてエネルギーを無尽蔵に使おうとしている。一つの会社という組織も、一つの国を代表する政府も右肩上がりの成長を望む。進歩史観にもとづけばそれは善だ、ということになる。
僕はそう思っていなかったよ、といいわけしても結果としてはそれを暗黙のうちに指示していた。

そして今の今、最大限の利益とハッピネスを追求したあげくに、自然の手痛い一撃によってとりかえしのつかない損失をこうむってしまった。

神の領域 (神というのがいやなら自然と超自然の領域といってもいいかもしれない)のことは神にいさぎよく返そう。本当に僕たち人間に必要なハッピネスとはなにか、ということを考えてみる時がきたのだ。

日本の、そしてアジアの写真家を含めたアーティストができることがたくさんある時がきたのだ、と思う。

昨年、工作舎から出版された杉浦康平氏の著作『多主語的なアジア』は欧米の進歩史観から脱却する発想への大いなるヒントとなるにちがいない。


原発事故の解説は大前研一氏のユーチューブが長い放送時間だがわかりやすい。

http://www.youtube.com/watch?v=2RztR0sRWk8

http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ&feature=related

自然エネルギーに関する記事

日本はついていけるか? 世界で自然エネルギー革命が始まった 

自然エネルギーを加速させる世界と立ち後れる日本


クリーンエネルギーとしての原発に関する記事一覧

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100113/212126/

アメリカで立ち上がったLife Support Japanのブログ記事。ロス在住の渡邊博史さんもいち早く参加された。
Wall Space の義援金オークションサイト

イギリスでも。
ニューヨークのギャラリーMiyako Yoshinaga Art Prospectでも早速アクションを起こしている。津波で全壊した町を2008年に撮影したTakahiro Kaneyamaの写真も義援金のオークションに参加。

http://miyakoyoshinaga.com/exhibitions/Fund Raising Project for Japan Earthquake Relief Fund

2011年3月14日月曜日

Life-Support Japan Auction

その時僕は新横浜駅ビル7階のビックカメラにいたが、おもわずしゃがみこんでしまうほどのゆれだった。キャスターのついていた陳列棚はすーと動いていき、商品が何点か落ちた。

娘を保育園に迎えに行くと全園児が防災頭巾をかぶって先生に絵本を読んでもらっていた。

その後テレビで見る映像はまるで映画「アトランティスの最後」を見るようだった。
予想を超える現実は、最初はリアリティがともなわないが、次第にじわじわと現実の生活に影響してくるだろう。

アメリカやヨーロッパの友人たちから「だいじょうぶか?」とうメールがあいついだ。そしてアメリカのフォトグラファー達はいちはやく日本への基金のためのオークションをはじめた。昨日から参加を表明するメールがあいついでいる。

Life-Support Japan Auction ウェブサイト