Fraction Magazine Japan4号に横須賀功光の作品を掲載することができた。
うれしい。ほんとうにうれしい。
講談社美術全集の京都ロケに同行させたいただいたときに、横須賀さんがふっと僕に近づいてきて、「女の口説き方を教えてあげるよ。こうするんだ。」といって僕の耳元にキスするかのように口を近づけてきてなにやらささやかれたとき、ほんとうに背筋がゾクゾクした。これを横須賀さんにやられたらどんな女もイチコロだろうと納得した。その時の感覚は今も生々しく僕の身体に残っている。
ほんとうに優しい人だった。その横須賀さんが2年前に僕の夢枕にあらわれて、「永田君、僕のことも忘れるなよ。」とまたささやいたのだった。
Fraction Magazine Japanは基本的には新人紹介のオンラインマガジンだ。なるべくフィルタリングしないで今の日本や東アジアの写真家の生な動向を伝えたいと思っている。また日本の今の写真ジャーナリズムでとりあげられない写真家にも光をあてたい。
一方、欧米のマーケットに向けてあらためて日本のすばらしいベテラン写真家を紹介することも重要なことだろうと考えている。
欧米で出会った写真関係の人たちのことなどを思い浮かべながらどんな写真家のどんな作品を掲載したらインパクトがあるかな、と考えてみたりする。
今年になって僕が気になりだしたのが倉田精二さんだ。処女写真集Flash Upの表紙の写真が妙に気になる。
倉田さんと最後に会ったのは9年前。僕の個展にふらっと現れた。
倉田さんと僕はワークショップ写真学校の同期生だ。彼は森山大道教室で僕は細江英公教室だった。1年くらいのワークショップが終わって東松照明教室の生徒が中心になってミニコミ誌的な写真雑誌”東京ワークショップ”というのを何回がだした。僕は写真に関するミニコラムを書いて、倉田さんは新宿公園のカップルのファックシーンの性器アップ写真を掲載した。
その後はまったく交流もなく彼は華々しい活躍をし、僕は工作舎のスタッフを経てフリーになり広告写真の仕事をこなしてきた。
お互い接点もなく、話もちゃんとしていなかった。
ひさびさに渋谷の喫茶店でおちあい、お互いのこれまでのいきさつやら子供の話やらとりとめもなくあれこれと語りあった。
なぜ倉田さんの作品を掲載したいと思ったのか、彼と話していてその理由がだんだんわかってきた。
僕はへそまがりな体質で日本の写真ジャーナリズムの流れをどうしても斜に構えてみてしまう傾向がある。倉田さんがへそ曲がりなのかどうかはわからないが、写真や自身の人生そのものについておそろしくピュアーな考え方をもっている男なのだと言うことが話していてわかってきた。
そのピュアーな姿勢が、はたからみればとんでもない世界的な名誉をすげなくことわってしまうというような行為にもつながっていくのだろう。彼がぼそぼそと語ってくれたことはこの場では言えないようなこともあるのだけれど、僕には妙に納得できることが多かった。
楽しみだ。Fraction Magazine Japanだけじゃなく、今年は倉田さんの面白い企画があると聞いた。
コンピューターは苦手だそうなのだが、ウェブサイトもつくったそうだ。検索ではでてこないので、アドレスをあげておこう。